タマゴと食事
昔タマゴは貴重品と云うより高価であった
食料品で戦後一貫して殆んど値段が変わらぬのが生タマゴである
高卒の初任給1万円の時代も10万円の時代も生卵だけは殆んど10円?!変わらない
1万円時代それ以前も同様らしい
兎に角、子供時代、貴重な食卓の蛋白源であったにも関わらず、鶏の玉子は高価であった
のである
だから、子供時代、1個のタマゴを兄弟二人で半分づつであった
醤油を沢山入れて、ゴハンにカケまぶして食べる
食卓は、タマゴを等分するのにワイワイガヤガヤであった
祖父・両親・伯母・兄・姉妹の7人であった
そうそう、嫁ぐ前の伯母がいた頃だから、小学校行く前であろう
その頃の食卓は、戦後で食卓の御膳にオカズが少ない時代の筈であるが、暗さはなかった
両親のおかげである
そうそう弁当に玉子焼きを持ってゆく
姉妹と私と三人で作った
小麦粉に卵をまぜ、更に膨らし粉を加えて増量した
そんな時代もあった
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今でも弁当休みや、買い物が面倒な時、ご飯さえあればタマゴカケ飯でサラサラと終わる
時がある
それで十分満足し仕事に走る
安上がりな自分が、愛しい
そうそう、ニラ玉も大好きである
式部の所へニラ玉を作って運ぶ
式部も玉子焼き好きなのである