母親式部への弔辞用意
まだ、平成22年2月20日現在、多少の認知症と衰えはあれど、目も耳も達者である
記憶力も衰えてはいない
それでも、93才である
何時、倒れるか分からない
喪主は私と義姉に伝えてある
イザと言う場合のため、昨年暮れ頃に弔辞を用意しておいた
掲載しておこう
母親・高木式部は○○に
大正6年12月4日(1917)生まれ、享年○○才でありました
母親は小学生の頃から竹の子売りや芋売りの手伝いし、子供の頃から商売が大好きだった
そうです。
嫁いでからは、炭屋から衣服店と転換し商売一筋に生きた母親です。
商売の現役時代は着物を着て、自転車で市内を走り回っておりました
また結婚の仲人90組以上いたしました
そのため氷見市のことなら生き字引で、私ですら完全に負ける程モノ知りでした
若き頃、先立った父親と「生長の家」を信奉し、信心厚く、施設はいってからも下手なが
ら写経にも興じておりました。
また昔、上日寺や近所のお地蔵さんの帽子や袈裟を何十枚と縫っていたことが思い返され
ます
先立った父親をジェントルマンで100点満点の人であったと胸を叩いておりました
根っからの商売人で、笑うかどに福きたると、笑う練習をして、どんな時も自然に腹から、
笑える人でした
人生どうだったと、聞いたら最高に楽しかった!と晴れ晴れと言い切りました
無学な母親で商売一筋の人でした、それでも振り返ると90点以上はやっても良いと思い
ます。
長らく御愛顧戴いたお客さん、また参列戴いた皆さんに、心からありがとうとの伝言です
尚式場出口に、お店の整理の品が置いてあります
ナイロン袋を用意してありますので、お帰りの際自由にお持ち帰り下さい
今日はお忙しい中、母親の為に参列戴き、ありがとう御座いました
平成21年8月17日
その時になってバタバタしたくないので、弔辞を用意したら、最近益々元気になってきた
頭も殆んどボケていない
今日現在93歳
この調子だと100歳を突破しそうで、こちらが、先にくたばりそうである
お餅をもって行ってもペロリである
参った
「寶」が世にでるまでは、生きていて欲しい
それだけである
これにて式部シリーズの打ち止め