母親の両親と里
母方は、丈夫で長生きの系統である
母親の両親、祖母も祖父の顔も覚えている
よく従兄弟同士で、お盆に母親の里、高岡市大田村へ遊びにいった
母親の里の家は、やがて一反近くの敷地があり、結構大きな家で、今も昔の面影を残して
いる
今思うに、祖母の顔には深いシワが顔に刻まれ、多くを喋らない人であった
5人の子を育てるのに必死であったのだろう!
それと、祖母の夫は、かなりの酒飲みで、苦労をしたと聞いている
祖父はドモリであったが、性格は明るい人であった
かなりの楽マツで、子供心にそれが分かった
式部に後年、聞いた話であるが、部落の酒屋にツケがあって、祖母は後始末に追われてい
たと云う
しかも、式部の兄、長男は嫁と子供2人を捨て、東京で別の女性と所帯を構えていた
今思うに、それも祖母の心痛であったろうと、思うのである
それはともかく、従兄弟皆で式部の里へ遊びにゆくのは、楽しかった
島尾の駅から、夏のむせかえるような畑道を、ワイワイ云いながら小一時間歩いて行くの
である
サンダルで歩いた、夏の砂のサラサラした感触が蘇って来た
平成22年2月6日