武士と現代役人
司馬先生の「竜馬が行く」を読んでいて、考えさせられる事が多多あった
その中で一番感じた事は、幕末の武士の心底である
武士=現代の役人である
しかも土佐・長州・薩摩の下級の郷士出身である志士たちは、現代で言えば地方公務員の
役人達である
上級の国家公務員では無い
現代の富山県に置き換えるなら、県庁の役人でも無い
氷見・新湊・高岡などの市職員である
当時の下級武士の生活と比較したら、今の市職員は昔なら旗本待遇クラスであろう
雲泥の差である
その市職員が、県庁の役人を動かし、江戸幕府である霞ヶ関に立ち向かったのである
氷見市の下級役人が県庁役人に逆らって反旗を翻したのである
切腹したものは土佐・長州などで数知れない
吉田松蔭などは、政府からの命令で切腹である
当時の下級役人は己の命など、他人事のように一顧だにしない
畳の上で死ぬことを恥辱と思うものが殆んどであったようだ
現代地方公務員でそんな覚悟のある者は皆無であろう
恐らく国難が来ても、危機を察知したら亀になるであろう
「つつがなく、無事退職いたしました」
これが現代役人の退職の辞である
人生は泣いても笑っても一度しかない
逆に言えば、お気の毒しごくである
司馬先生も別の回顧録本で、徳川政治の最大の功罪は武士階級を作ったことであろうと書
いておられた
昔、市川歌右衛門主演、確か早乙女門人・「旗本退屈男」の映画を良く見に行った
旗本八万騎は現代の上級役人である
このようなヒマな事を毎日書いている承禎は、間違いなく平成の退屈男
人の事は言えないかもしれない