彼女の家族
来日時彼女は28歳であった
離婚して国に7歳位の男の子を残して来日した
家族は両親と男の子4人家族である
エラーは高校を卒業後、外科の専門学校を卒業してナースをしていたと云う
兄が一人いて、その兄が医者、ドクターであると言う
当時ソビエトが崩壊し、東欧経済は壊滅的であった
兄が医者をしていても、両親と彼女親子を養えない程、国全体の経済が、困窮を極めてい
たのである
来日した他の女性も短大卒や大卒がいた
当時、ロシアや東欧経済の混迷はテレビなどで度々報じられていた
日本経済はまさに世界の垂涎の的であった
彼女達は高岡に来た、第一陣であった
日本に来る為、プロダクションの応募を受け、選抜された上ランクの女性達であった
だからエラーの服装も抜群のセンスで、故国でのそれまでの生活水準が端々に窺われた
高校時代バレーボールの選手とのことで、見事なプロモーションであった
しかも第一陣の中でも、飛びぬけた美人で女優にしてもおかしくない程の女性であった
ツイツキー・ボリショイ・ハラショー、とし、翻訳する(オッパイ・ビック・グット)
クラッシーバー(ビューティフル)であった