炭屋
行商に身を転じる前、父親は炭屋をしていた
氷見でもかなり大きな商いをしていた
現在の私の事務所が炭屋の倉庫であった
炭俵が天井までうず高く積み上げられていた
薪(マキ)も積み上げられていた
一度、トラックが炭を運んできて、積み上げている父の姿が子供心に頼もしかった
炭・練炭・豆炭・薪の配達を良く手伝った
炭にも何段階かの炭があった
雑・クヌギ・・・????忘れたが、俵に荷札がついていた
何でも思い出すものである
記憶のフィード・バック?適当なカタカナ用語で自信が無い
間違ったらご免
父親が炭屋を廃業した理由は新しい燃料プロパンの普及であった
父親はプロパンは爆発するから、危険!!!!!それが廃業の理由であった
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父親は、気の小さい人であった
それが、生きる武器であった
私も本当は気が小さい
大胆かつ細心、気が小さい事は一種の生きる武器である
大胆・大胆では倒産する
臆病さも生きる上で、重要である
今になって父親に拍手喝さいである
プロパン屋に進んでいたら、私の不動産屋や「寶」の道は無かった可能性が大である
人間、サイオが馬(パソコンが変換しない)
以上
父親とのコミニケーションは極端に少ない
それでも、気の小さい、それでいて誠実で、私より真面目で努力家であったことは間違い
ない!
雪が溶けたら、墓参りに行こう
何一つ、父親は私に愚痴を言わなかった・・・・・・!
叱りもしなかった
しかし父親に心配ばかりかけた
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平成22年1月14日