祖父も父親も兄も酒は好きであった

家系であろう

しかし祖父も父も外では飲まなかった

酔った姿も一度も知らない

兄は何十年疎遠で知らないが好きであろう事は疑いない

高校時代からである

高校時代の酒の武勇伝は末尾の「番外・花の高校時代」で記した

私が酒で一晩に一番お金を使ったのは、昭和40年のある日である

神戸から帰省して同級生20人程引き連れて飲みにいった

氷見の香港と言う店である

全て私のおごりである

当時は初任給1万円の時代に7万5000円支払った

今に換算したら75万である

その次は熱風録11番「薬の現金問屋」で話したとおり一晩で17万円である

酒の失敗は2番「三宮歓楽街の乱闘」で話した

それと今ひとつ失敗があった

氷見の居酒屋「酔仙」の開店日に町内の○○社長に酒を浴びせ更に怪我を負わせパトカー

が来たことであった

原因は○○ではあるが手を出した事に弁解の余地は無い

今思えば恥ずかしい限りである

二十代に飲みすぎて時々記憶が途切れた事はあった

しかし飲み屋で何十年間泥酔し乱れた事は一度も無かった

また何十年間請求書が来た事も一度も無い

今でも10軒近く飲み歩くが請求書一枚郵送された事は無い

飲み屋のママにその点は絶対的信用がある筈である

バブル期、高岡のママが借金して欲しいと頼まれた程である

借金しても10日以上借りていたお店は無い

私は借金が病気程嫌いであった

それが私流の飲み方である

断っておきますが別れた妻にそのお金で負担をかけた事は只の一度も無い

妻に渡したお金と90%は別処理、内実は自転車操業であった

酒と女でいくら使ったか??????

軽く家2軒分?????!!!!!!!それは内緒

平成19128