朝日山・招魂祭
祖父は何時も着物姿であった
そして祖父の三つ揃いの背広姿を覚えているのは2度だけである
鎖のついた懐中時計をチョキのポケットに忍ばせ、帽子を被りステックを持って外出であ
る
一度は伯母の専門学校の入学式の時。
そしてもう一度は私をつれて、朝日山の神武天皇像の後ろにある忠魂碑の記念式典であっ
た
当時は何のための式典か、勿論知る由も無い
昨年、神武天皇像を調査していて、合点がいった
その調査では明治41年、忠魂碑と神武天皇像は殆んど同時期に建てられたものである
二つの記念碑は氷見郡の多くの人の寄付金により建立なったものである
明治期、我が家は奉公人20以上、馬も20頭近く養う程の豪農であった
仏生寺の田畑山林に加え十二町潟の潟周り36町歩を持つ氷見郡でも指折りの豪農であっ
た
それらは氷見市史にも載っている
当時、相当な寄付金をしていることは間違い無い
であるから祖父は招待されて出向いたのである
式典会場の周囲に紅白の幕がはられ、忠魂碑の前に祭壇が設けられてあったのを、オボロ
ゲでなく、かなり鮮明に覚えている
そして、祖父が記念品を受け取って来たのも覚えている
今になって思うのは、私が昨年神武天皇像を調査したのは、そのような潜在的記憶が突き
動かしたのであろう
不思議な縁である
その時ほど祖父の威厳に満ちた姿はなかった
平成22年1月3日