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烈女・式部

                           

 

私の母親は現在の高岡市大田、伊勢領の生まれである

その母親の名前が「式部」である

あの源氏物語を書いた紫式部と名前が同じである

日本でも恐らくそうそう「式部」名の女性は少なかろうと思うのである

母親はこの大それた名前を嫌がるよりも、誇らしげである

この年になって母親を考えるに、名前負けしていない!!!と思う今日この頃である

どうして式部と名づけられたのか母親から謂れを聞いていない

尋常小学校しか出ていない母親である

母親の両親すなわち私の祖父母も、間違いなく小学校しか出ていない筈で、到底教養とは

縁の無い存在である

ただ、母方の祖父の家は明治期、家の一部が学校であった家柄である

だから母方の従兄弟には、頭の良い者とわたしの様な悪い者とがごちゃ混ぜである

母方の従兄弟には書や絵画、手芸と多彩なものがいる

いずれにしても母親は文学とか教養など、無縁に近い女性である

恐らく、無学な祖父母の、強い願望から名付けられたのであろうと、想像している

式部(93才)の兄は95歳で今も矍鑠(かくしゃく)として生きている

叔父は軍隊で伍長であった

兄と式部二人とも、100歳まで生きそうな、脅威の生き物である!!!!

その叔父さんの話しによれば、母親は子供の頃から、母親の竹の子売りや芋売りの手伝い

をして、兎に角商売が大好きであったと云う

母親を手伝ってリヤカーで海老坂を越え高岡へ売りにいっていたと云う

ちなみに、式部の母親、祖母を私は良く覚えている

今思うに苦労に苦労した皺が顔に刻まれてあった

それでも、その皺枯れ顔に、多少の憂いは感じたが、暗い影は無かった

静かな優しい笑顔が今も鮮やかに残っている

祖父は子供心に贔屓目(ひいき)にも頭が良いとは思えなかった

少々ドモリで、しかも大きな声を出すが明るい人であった

いずれにしても、母親はそんな両親に育った

 

平成22130