鉄棒と卓球
小学校時代、校庭に大小の鉄棒があった
これも昼休みや休日よくぶら下がった
体が小さく、回転運動が得意であったから、普通の者より格段に上手かった
片足掛けて回転を競つても負けなかった
何十回いや百回以上回り記録を競った
頭に血が偏りストップした
しばらく立っていてもフラフラしたのを覚えている
考えると、単なるアホであった
・・・・・・
また家業の手伝いで腕力がわりとあったので、ケンスイなども得意であった
何より、ぶら下がって、前方へ遠くへ飛ぶ、競争はおもしろかった
皆で、飛んだ足跡に目印の線を引いての競争である
体が小さい分、ハンディがあるが、それでも確実に上位三傑であった
その鉄棒を担任が見ていて、中学へ行ったら体操部に入れ、
その一言が運命を決定付けた
素質の無い自分が体操部、お陰で怪我をした左足の膝が、最近とみに疼く
体操部に入ったことは後悔はしていないが、途中で素質の無いことが、自分で分かった
時、既に遅しであった
それでも、中学時代、鉄棒の部で、市体三位を取った
それと県体の団体の徒手体操で二年連続2位であった
我々の年でそれまでの県体優勝9連覇が敗れた
氷見西部中学に阻まれたのである
西部中学に熱心な高岡先生が赴任し、チームを造り上げたのである
何でも思い出す
恐らく卓球をしていれば、相当いけたと想像している
中学三年の時、卓球部は県で優勝したのである
卓球は小学校時代、校内で優勝した警察官の子の岩田君とは五分五分であった
何故かクラス代表にはなれなかった
そうそう思い出した、初めて卓球をした近所のウドン屋のエイジはその大会で二位であっ
た
なぜか二人とも卓球部それ以外の運動部にも入らなかった!!!
秀才コースに走った
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中学校時代、俺は中途半端コースであった
何でも思い出すものである
こうして書いていると、小学校、中学の事が鮮やかに蘇る
全て頭で無く、体で覚えた遊びと運動だから、体が忘れない
!!!!!!!!!
平成21年12月16日