跳び箱
これまた、熱中した遊びであった
5年生〜6年生の頃である
外の天候で遊べない冬場の季節と記憶している
講堂(体育館)に置いてある跳び箱で高さと成功率を競うのである
それに参加した者はそんなに多くない
3クラスの同級生の中で、何時も集まるのは、トモ・フクイ・ヨッシャン・その他数人、
それに私である
一級上はコイド・ノブ・???・・・・・・あと何人かである
段々高さを上げ、踏み切り台を離して行くのである
自分は体が小さいく、そんなに跳躍力が無い筈なのに、最後まで勝ち残っていた
最後は講堂の一番後ろから助走を付けて、ドーンと飛び超えるのである
高さを7段8段9段と積み上げて行くと、背丈の小さい私に僅かづつ不利になってくる
それでも、皆と対等に戦えた
時には飛び越せず失敗すると、お尻の尾骨を思いっきり打って、脳天に突き上げる程であ
った
それでも、皆と対等に戦えた
跳び箱は、体を支える腕力も必要である
ここでも振り返って、イワシのスリミと干物、家事手伝いが人より強い骨格を作った為と
得心している
今でも、競争の中の誇らしい遊びであった
結構負けず嫌いであったと、感心している
これだけの闘争心が勉強に向かわなかった
中学2年頃、小学生時代の遊びが祟って、長期コンプレックスで、憂鬱な数年を迎える
当然といえば当然である
これにはイワシの効能は殆んど無かった
平成21年12月16日