援軍
悲しみの別れが続いた
打ちひしがれた私に新たな生涯の友が出来た
親戚一族になったと言って良い
妻が遁走する約2年程前、現在のお店の土地を買って戴いた
奥さんに確認すると平成10年の12月とのことである
妻を追い出したのが13年5月、約2年半前である
奥さんの話と私の記憶と、そんなに誤差はなかった
それから付き合いが始まった
食事の作らない妻である、当時私は彼の家で毎日食事をご馳走になっていた
確認すれば開店が平成12年7月で、1年数ケ月であった
その間殆ど毎日であった
そしてお店を開店して早6年半が経った、今もお酒とツマミはタダ、私のために焼酎が用
意してある
それがひみ浜である
大兄辰亡き後、このHPの道のりは勿論、書けなかった「黙示録」その他私の苦悩、絶望
その他の経緯、事情をひみ浜の親父は全て知っている
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死も考えた時期であった
どれ程救われたか分からない
奥さん共々改めて感謝申しあげる
そしてお隣の東平蔵とも更に付き合いが深まった
彼もまた10数年の私の歩み、苦悩を知っている
また日本の豪傑、安さんには私の私的な苦悩は話してないが、「寶」完成後の私の歩みを観ている
日本の男である
心からありがとうを述べたい
さらに我が家の家系図を賜った郷土史家の川渕先生もそうである
私利私欲無しの仙人である
以上4人4様、私に取ってかけがえの無い友となった
みな人生の荒波を潜って来た男達である
平成19年1月25日