兄の死
兄が生家を去ったのはこの熱風録C「生家の呉服時代」で話した
兄は金沢にいて約30年間私は疎遠であった
二人とも心の行き違いがあった
2,3度顔は合わせたが、約30年近く向き合って話す事は一度も無かった
その兄が末期ガンと言う
高ちゃんが会わずにいたら後悔するよ
その一言で私は認めた手紙を持って車を飛ばした
,姉さんが私の手紙を兄に読んで聞かせた
兄弟である・・・・・何十年の溝は即埋まった
兄も最後は骨董の世界で生きていた
私は人生面白かったろう???????と問うた!!!!!!!!!!!
兄は腕、腕と言って、にっこりと顔を崩し、そして誇らしげに腕を擦った
二人とも父親の血である
私は一週間、毎日車を飛ばした
そして朝日山の桜の枝、湊川の桜の枝を病室に届けた
二度桜が満開に開いた
再建途中であった
私は兄と義姉に2日間は仕事で来れない事を告げた
不思議であった翌朝5時頃,布団の中で兄が亡くなった事を私は悟った
テレパシーである
そして目を閉じたままの状態で、自然に手を合わせた
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30分もたたぬ内に携帯が鳴った
つい先ほど兄が死んだと連絡が入った
不思議と私に涙は無かった
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病室での誇らしげな笑顔が浮かんできた
平成19年1月25日