離婚決意

 

離婚を決心したのは娘の結婚式の直後であった

平成129月であった

結納から式次第に私は全てを悟った

そして宴席の後、妻の姉の夫を新宿の飲み屋に連れ出した

夫伸二さんは子供が心配で離婚できないと悲痛な胸のうちを私に吐露した

私は全てを察した

失礼だが二人の姉妹は結婚したり、子供を産んではいけない女性であった

全てはこの熱風録36番「帰郷決断」で話した父親の血であった

それでも離婚への行動を起こすまで本の問題でないどうしても解決できない悩みで苦悩し

ていた

クサンティッペなど比較外

傾城傾国の楊貴妃その生まれ変わりであった

玄宗は勿論、後世の歴史家も皆盲目

自分も盲目であった

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昔の人は良く言った

私の兄は「新湊(放生津)女に氷見男」

私は「能登はやさしや土までも」・・・・「能登は優しい人殺し」・・・・・・

・・・・・・諺を地で行った

平成19122