「寶」エピソード

D食事

私に取って食事は一番切実な問題であった

不動産をして約19年である

その前が東京約8ケ月である

計20年である

その間一年に妻の食事を何日食べたか考えると・・・・良く思い出せないのである

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一ヶ月の半分は無かった

平均一日1回・・・記憶が完全に薄いのである

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勿論執筆の7年間は殆ど自炊に近い

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伏木の○○鮮魚や街の魚屋でシジミ貝を一升単位で買い込んできて、砂出しして味噌汁に

していた

私は商売屋に育ったせいで自炊がそれ程苦にならないのである

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私はその間、糖尿病で和田内科に3回、島尾中村記念病院に1回

市民病院には2回入院している

病院は1回入院すると期間は1〜2ケ月である

バブル期は高岡中心で飛び回っている

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であるから、記憶が殆ど戻ってこないのである

現在は大野の高木医院に通院している

正直現在インスリンも打っている

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家を新築して間もない頃、妻は私への糖尿食など作る、その素振りも無かった

私は妻に話して富山の宅配弁当会社でカロリー計算した弁当を3ケ月程配達してもらって

いた

しかし味気ないもので、3ケ月程で止めた

妻は、365日朝は和食ではなくて、パンにマーガリン、そして卵サラダかポテトサラ

ダとコーヒーであった・・・・・・・・

私の和食要求を一切受け付けなかつた

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これには閉口した

後は判断下さい

このホームページの世相を切る、歌の川柳コーナーを見ていただければ、すべて私の実情が

想像できる筈です

笑うに笑えない深刻な話である

平成19120