「寶」エピソード

Cタバコ

家の畳に付けたタバコの痕で思い出した

離婚行動を決行したのが平成13年5月5日である

その前々年である11年頃までは、まだ不動産売買の仲介手数料を年間500万円と定め、

その目標額を達成し、内緒のお金を何とか工面していた

12年になると最早完全に不動産は氷河期と呼ばれるほど、落ち込んできた

この不動産の天才児と密かに自認している私ですらどうにもならぬほど、バブル崩壊の

津波は凄かった

その惨禍は今も終息していない

近年の、スマトラ沖地震の大津波の惨禍より経済的には比較にならぬ程大きい

またその後の10年間の3万人を超える日本の自殺者数を考えると、死者の数ももっと大

きい筈である

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それはさておき、私がサラリーマン時代に生活できず、2度禁煙した事は話した

しかし「寶」解明時私はそのタバコ代に窮していたのである

その頃の私は銘柄フロンティアのタバコを一日6箱喫煙するヘビースモーカーであっ

現在は一日4箱と減った

作家の方はヘビースモーカーがかなり多い筈である

そうそうタバコの思い出で駅裏のサンステージの話をしておこう

話の前にサンステージについて少し話しておこう

このマンションは九階建で、氷見で一番高層のビルである

バブル期に建てられたマンションである

このマンションの管理は初め同業のS不動産が預かっていた

預かってはいたがS不動産は売買オンリーで賃貸に興味が無かったのである

持ち主は当初高岡の(株)東洋○○建設であった

建設時より私はこのマンションに注目していた

その後富山の不動産業者の手に渡った

まさにバブル期であった

戦場を氷見に移し、賃貸に主力を切り替える決意をした時、私は即このマンションの管理

をわが手に落とす事を画策した

空き家と老朽アパートの管理に成功し、自社のサンコーポ柳田を競売で落とす事に成功し

そして私は富山の不動産屋に電話で口説き落とし、S不動産から預かりの鍵、総てを奪い

取る事に成功した

乗降客は少ないとは言え、6万近い氷見市の玄関口である!!!!!!

365日、乗客が乗り降りする

私は早速大型看板を取り付けた

将来の顧客となる高校生が乗り降りする

何と言っても宣伝効果は大きい

!!!!!!!!!!!!!!!!!!

マンションを預かった時32ある内の、入居部屋は3つだけであった

私は最上階9階のド真ん中の部屋に陣取り、友達や市内の会社の人達を招きその景観を宣

伝した

それを妻が引き継ぎ1年程で7割近く詰めた

その後、新築の家と図書館と喫茶店と病院と事務所そしてこのサンステージを移動しなが

ら「寶」と格闘していたのである

漢文化の歴史を覆す世紀の「寶」である

しかも道教宇宙、神秘の世界を解き明かす壮絶な戦いである

一箇所では完全に息が詰まる・・・・・天はここでも私に場を与えてくれた

後に7階に部屋を移した時、窓を開けたらお隣からタバコの煙が酷いと抗議の電話が掛か

ってきた程であった・・・・ムムムムムムムムムムム

平成19120