私の現在地@
自分の現在地が分からないことは、孤児かホームレス見たいなものである
確かめる必要がある
昔、色々本で舐めたが「時間」の概念は宇宙物理学の博士達でも定かではないらしい
時間は光なのか?何なのか?
私が死んだら私の時間は停止または消滅する
後はケセラセラ
私に関する諸問題は最終的に日本国家に委ねていけばよい
無責任この上無い構えである
そうそう何年か前の本であるが「象の時間とネズミの時間」を研究している東大の先生が
いた
そんな哲学的なことはさておき
ビックバンより宇宙の果てまで時間を光の直線として考えた場合、私の現在地はその果て
しない直線上のミクロにも満たない一点に地球はぶら下がっているのである
無限ともいえる光の方向と過去の直線上の一点を宇宙外から観測するとしたら、電子望遠
鏡を用いても確認できるかどうか?非常に怪しい
そんな不確かな存在の地球に私は確かに居る
「時間」の観念から私の位置を確認してみたが、宇宙と云う広大無辺の立体面域から確認
しようとしたら、これまた超高性能の電子望遠鏡でも怪しいものである
その不確かな球体の地球の海に囲まれた日本、その日本の南北のほぼ中央に位置する、県
名富山県の端、氷見市に私は住んでいる
その氷見市の南北ほぼ中央の町名、朝日本町に私がいる
観念の宇宙から氷見市に舞い戻ってやっと、実在感が★沸いてきた
視覚聴覚触覚が揃い掛けた頃に確かに母親を覚えたので、これまた私がこの氷見市の朝日
本町で生まれ育ち現在地にいることは幻覚ではなく、間違いないであろう
一時期それでも不安で、生物の進化論の本を舐めて自分の存在位置を確かめていたことが
ある
幾つもの、測定方法で自分なりに検証して、漸く安心感が★湧いてきた
どちらの★湧く★沸くを使ったらよいのか、バカは辞典を引くのが面倒である
自分の現在地も確かめず凡々と生きている人間は、間違いなく孤児かホームレスみたいな
ものである
自分の位置確認もせずに不安なく生きている人間は余程ノー天気な、お人である
私がもし頭がよければ、宇宙グラフを駆使して私の座標点を微分積分して割り出す
こんな事を考える私は、余程ヒマか、不景気ですることがないか、馬鹿の証拠である
いわば馬鹿の位置確認である
参った