「寶」と教養
「日本道教学会」「日本中国学会」「東方学会」この三学会だけで日本中の漢文化研究者の
恐らく70%に達するだろう
その彼等が完全沈黙である
教授や名誉教授また博士の称号の先生もいる
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どうして、こんなことになるのか?????????????
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彼等は私より知識も学歴も上であることに間違いは無い
もう一度、高校入試の試験をしたら、やはり同じ結果が出るだろう
大學と商業高校
恐ろしい差である
その彼等に「寶」を観賞させ、直に手に持たせても、殆んどが猫に小判であろう
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さすれば陶磁器観賞=美術鑑賞と教養とは別の結論が浮かび上がってくる
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絵画や陶磁器、工芸品などの美術品を載せた諸本を私はよく開く
そこに美的面からの解説がよく書いてある
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そこに添えてある解説は教養そのものである
しかし果たしてその解説者に本当の教養があるのか、とても疑わしいのである
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ピカソの後半の絵画など、私には全く理解できないし感動も無い
何かの本の誰かが、ピカソの後半の絵を評して、三文猥画と云った人がいた
それらにも、もっともらしい解説が添えられてある
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それらのピカソの絵を見て感動する人の脳構造、感性を私は全く理解できない
私はピカソを天才画家と思っている
しかし見ている人達がホントに理解しているのか、そしてホントに教養人なのか?とても疑
問である
袋小路に入ったので話を戻す
「寶」の宇宙的領域が彼等の小宇宙を遙かに上回っているこことは間違いない
私はやはり馬鹿かアホ、これは折り紙付きである
何が頭が良くて、何が頭が悪いのか
コインの裏表
並の大學教授クラスでは「寶」を理解できないだろう
致し方ない
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平成21年1月19日