よく遊びよく学ぶ
昔から順序は@「よく遊び」A「良く学ぶ」である
相撲の標語の「心」「技」「体」も@心A技B体でAB@でもBA@でもない
やはり@ABである
現代の教育制度は「よく学べ」で「ぶ」では無く「べ」は半ば押し付的教育の匂いがある
現代教育は秀才排出、鉢植え、盆栽型教育に映る
私はその制度を悪いと云っているのではない
必要悪が含むベターな制度だと思っている
秀才が多ければ社会が安定する
秀才は確実性に優れている
反面、活動性、積極性、アグレッシュな面が欠けるきらいがある
確率的にベターな社会、ベターな技術立国が形成され日本の事情を総合的に考えると仕方
が無いと思っている
それらの集団はとりわけ世界に誇る官僚ニッポンには適任である
しかしここでの落とし穴は、秀才集団が自分の心の中で頭が良いと自惚れることである
中には錯覚して自分はひょっとして天才ではないかと傲慢化する
権限を与えると権威を振りかざし集団的、傲慢に陥ることである
秀才は程度の知れた秀才なのである
秀才は秀才であるその習性として確実、安全をたえず模索しそのなかでベターな選択する
しかしそれが年月が経つと組織そのものが硬直化し、機能不全に陥る
秀才も親が危惧して、親の監督下、一応遊んできている
しかしその遊びの中に我々のような者とは違い危険度が遙かに小さい遊びの中で育つた者
が殆んどである
秀才達はこの原稿のように、統計的裏ずけの無い片寄った原稿を書かない
確実なデーターを揃え迫ってくる
そこで、この原稿を置いて、私は次へ逃げる
これが劣等生の隠し技である