戦場を氷見へ
私は極端に臆病である
高岡で中古住宅を専門に扱っていたKホームが賃貸専門店に変身した
Kホームはそれまで新聞広告を毎月打って、高岡で一二を争う中古住宅専門店であった
まだバブルが弾ける少し前である
それが突然の変身である
Kホームとは何度か取引したが、酒も飲まないKとは取引以外深い話をしたことが無かっ
た
テレビなどでバブル崩壊を騒ぐその前後である
私はKホームの変身にハッとした
仕事に関するKの鋭い頭は理解していた・・・・・!!!!!!!!
もしバブルが崩壊して売買がなくなったどうなる?????!!!!!!
賃貸の仕事は事務処理が細かく、利は薄いが確実である
氷見に賃貸専門店が一軒も無い!!!!!!!!!
私の反応は早かった
それまで20年間ただで過ごして来たのではない
動物的嗅覚であった
株価、円の動向にも目を配っていた
私は必ずバブルが弾けると確信した
円が最高時80円を切った!!!!確か78円が最高であったと記憶している
!!!!!!!私の記憶は凄いのである!!!!!!!
不動産屋に不向きな息子に家業を継がせるには賃貸の確実な基盤が欲しい!!!!!!
当時私は高岡に3軒の中古住宅を所有していた(
私は全て売却を決断した。
戦場を高岡から氷見に移すのである
当時氷見には新築のアパートが一軒も無いに等しい状況であった
あるのは朝日荘、太田アパート、松栄荘、若葉荘、深原アパート、山口アパートなどの老
朽したアパートばかりであった
新しいアパートが無く、若者が高岡に流失していた
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早速私は氷見の空き家や老朽アパートを一軒一軒回った
そして次々と落としていった
さらに流れは私に向いた!!!!!高岡の所有物件を売却した前後に、既に預かっていた
サンコーポ柳田のアパートが競売に付された
競売専門の伏木の後藤不動産に頼んで見事落札した
後藤さんとは宝不動産で知り合った仲良しである
更に駅裏の9階建てサンステージの預かりにも成功する
その頃、高岡の賃貸マンションであるグランドハイツ木舟、誠美コーポも請け負っていた
誠美コーポのオーナーは元県会議員の奥さんで、霊能力者であった
木舟ハイツは大兄辰の紹介、誠美コーポは千里ブロックで知り合った金さんの紹介である
戦場をシフトし業務大転換である
私の心の中はバブル崩壊と時間の戦いであった!!!!!!!!
不動産から今日まで私の平均睡眠時間は4時間を少し切っている
当時もそうである。
燃えに燃え、頭は冴えに冴え渡っていた
寝るのが惜しい位であった
只1つ参ったのは、
● 別れた妻が賃貸に本格的に向った時“こんな糞儲からない仕事”と2度も吐き捨てた事
であった
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私は黙って押し進めた
賃貸の事務の仕事は女の仕事である・・・・・・・・
・・・・私は頭の悪い妻を説得する時間すら惜しかった
・・・・・・・・!!!!!!!!!!!!
彼女に屈していたら今日は無い
● 「寶」購入もそうである
● 株の売却は妻の強情に諦めた
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