骨董その@

親の骨董品1000点の中から50点程を除外し950点を基に私は動き出した

950点の品を頭の中でランク付けし、その中の50点程で高岡のH美術商と交換を繰り

返し更に1000程を手に入れる

と同時にS骨董屋と何十回の交換を繰り返し、手持ちの品物の質を上げていったのである

3対1、5対1、4対1、8対2、数が多いのが私である

時には品物に現金をプラスする

お互い腹の探り合い、虚々実々の駆け引きである

お互いお金を使わず数か質かを選ぶのである

H古美術商は質、私は数

Sは反対に数、私が質である

それを何十回繰り返した

約2年間程である

勿論不動産の仕事もしながらである

不動産の売買の関係で今は亡き富山県刀剣協会荒勢会長とも親しくさせて戴いた

土地と中古住宅をお世話させて戴いたのである

荒勢会長は日本の刀剣業界で知らぬ人がいないと言われる程のお方であった

その審美眼は凄かった

日本のトップクラスの目であった

富山の骨董市にも何回も顔を出す、

県下で一二を争う小矢部の市にも顔を出す

数年間であったが、骨董業界を一気に駆け抜けた

キャッシュで1000万の屏風も扱った

贋物も掴んだ、眠れないほどの悔しい思いもした

それでも「寶」の解明執筆に入る頃、手元の品は更に厳選され、美術館に納める程の重文

クラスが手元に何点も残った

基礎勉強は無いが、見る目だけは相当肥やした

最後は翁、荒勢会長、富山県表具組合会長も私に一目置かれた程である

「寶」を手に入れ執筆解明に突入する頃、約2000点の品を動かした

一切の収支は450万の利益であった

勿論美術館に納めても遜色ない一流の品が20点程残った

平成19114