「寶」への道

 

昔から東京経済と高岡経済とは1年の誤差があると言われた

好景気も不景気も約1年、今は半年・・・いや、やはり1年程の周期であろう

バブルのピークは1年で後は5年程、確実に下降して、その後も持ち直すこと無く今日まで

下げ続けた

私の記憶と一致する家業の帳簿をみれば明らかである

株価は3・4年程前から上昇に転じたが、地方の不動産業界は反転の気配すら見えない

過去6年間程は不況では無い、氷河期と言われる程である

それは横に置いて、ここで本格的「寶」との遭遇の前に、運命の伏線を話しておこう

     義兄の倒産事件以来、親から預かった1000点前後の殆どの骨董品は私の高校時代か

らの知人の倉庫に預けてあった

親が生涯をかけて集めた骨董品であった

義兄が自殺したあと私が親を強引に説き伏せて預かった品である

親の影響を受けて兄同様もともと骨董品の大好きな私である

私は東京にいた時、不動産屋をするか骨董品屋をするか考えた程である

真の骨董品屋をしようと思えば、不動産以上の深い知識と心眼が要求される

私は富山県あたりで古美術屋をしても飯が食えないと判断し断念した

どちらも海千山千が要求されるが、長期的視点や確実性からは不動産業に軍配を上げ

た、・・・・やはり私の選択は正かった

これまで古美術の事は書かなかったが、私は千里ブロック時代も、その後も意識して美術

雑誌などを読んでいた

勿論足を延ばす美術館などは私の息抜きであった

私は絶えずよそ見をする性格である

二兎を追うもの一兎をも得ず!!!!!とあるが私は二頭三頭を同時に追いかける

複眼・・・・・・・・・多情性なのである

日本人的美徳思考で無い事は確かである

それが誤解を生み奇奇怪怪に映るのであろう

まず知り合ったのが刀剣の世界では日本で3本の指に数えられた故荒勢氏であった

そして現在も骨董店を営む村中氏と知り合った

お二人とも不動産の売買でその後も親しくさせていただいた

更に何十年間父親と共に行商をしていた従兄弟が骨董に力を入れだした

従兄弟は今島屋の名で骨董品店を開業している

そして富山呉羽の骨董市を開くマル豊の社長とも不動産の売却を依頼され知りあった

また古美術商の長谷氏とも知り合いになった

そして富山県刀剣協会会長の荒勢先生の呼びかけに会員となった

刀剣や古美術を買う人は金持ちが多い

そして骨董商は経済人とのつながりが深くその情報も多い

私は骨董の世界の人と交流を深め、不動産の活躍の場を更に広くした

必然の道である

「寶」との運命の道を走っていたのであった

平成19113