当時の関係者の話

 

@私を採用せず即開業を進めた宝の社長は

「どうだ私の目に狂いがなかっただろう」

Aまた1億4000万円の物件を成約した時、相手方の大手不動産会社の専務は

「貴方の背中が大きく見えた」と

Bあるサッシ会社の社長婦人は高岡の町で見かけて、後日の話

「うしろ姿に殺気があって、到底言葉をかける雰囲気ではなかった」との事

「後ろ姿にオーラがあった」と

C私が「寶」の本を書いている時高岡の業者と大手不動産会社の社員2人が

「貴方が高岡に出てきたらぺんぺん草も生えない」

「そのままズーット本を書いていて欲しい」

と同じ言葉を吐いた

Dまた高岡の古参の不動産屋も私に最初の印象と同じで、私を凄い評価で見ていた

自分では気がつかなかったが皆がそのように私を見ていた

良く考えると

@千里ブロックで氷見市の民間土留工事の約60%

A現在氷見市の不動産賃貸の70%

Bバブル期の年間契約数57は恐らく全国の最上位ランクに入るであろう

「寶」解明者としての私の密かな自負である

バブルの最高潮を過ぎても4・5年は充分余韻があった

★最早子供2人の大学資金の心配は消し飛んでいた

 

この場を借りて「寶」以後の時代の事にも少し触れておこう

戦場を氷見に移し「寶」の解明執筆している頃、小矢部、大門、戸出、高岡、伏木その他

から不動産をお世話願えないかと電話が何本もかかった

「寶」との格闘は不動産のバブル期を問題にもしない位苦闘の日々である

私は高岡の信頼できる若手の不動産屋を何回も紹介した

ありがたいことであった

一昨年もその頃の戸出のお客さんから友達の家を探して欲しいとの電話がかかってきた

不動産取引一つ一つに、懐かしい思い出がある

今は忙しくて訪ねる間がないが、経理の帳面を見るとお客の一人一人の顔が思い出てくる

また家の前を通り過ぎる時、家が荒れていないか、干し物を見てああ子供さんが生まれた

のか・・・明かりが灯っている・・・・元気かな・・幸せかな・・・・そんな事を思う・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

今も私の心に歩んできた道に深い自負心がある

天職であった

平成19112