バブル到来

 

エンジン全開の5年目、俗に言うバブルが来た

まさに東京での私の予感が当たった

日本中が土地、株に狂乱

成約の金額は10億を超え仲介手数料は3000万円を超えた

この年私は、帳簿上は52件、実際は年間57件の仲介をした

不動産屋には鬼門の2・8(ニッパチ)の月がある

一週間に1件契約して1ケ月に4件したとして年間48件です

物件の契約総金額は別として、この年間契約本数は、バブル期であっても恐らく日本のト

ップクラスであったろうと自負している

私は殆ど買い方に回った、

さすれば契約書や重要事項等煩雑な仕事は売り方がしてくれる

私は契約書に判を押して領収書を切るだけである

また高岡の若手の不動産屋に謄本、公図、測量図を取りに行かせ、契約書や重要事項を作成

してもらっていた

私は兎に角お客の対応に専念した

大安、友引などの吉日は所有権移転が4件5件重なった

若手の不動産屋に書類作成の手数料を払いアシストさせた

その彼等に領収書を切ってもらい、支払い手数料中の一部で情報源の1つである飲み屋を

連日回っていた

その頃から既に睡眠時間は4時間〜5時間であった

水を得た魚!!!!!!!!

悶々とした時代そして東京時代を一気に挽回した

まさに疲れを知らなかった

また幾多の挫折を乗り越えてきたから、天狗にはならなかった

むしろ興奮と歓喜の中にも冷静であった

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平成19112