永遠の名曲『氷見港』
歌碑建設計画(案)
名曲『氷見港』は演歌歌手中島聖二さんが声の限り歌い続けた氷見の情緒を歌い上げた名
曲である
中島聖二さんは京都生まれであるが、御両親が氷見出身の関係で、幼き頃より氷見市が大
好きであった
そして演歌歌手を志し、自費で「氷見港」を発表し、大変な努力の末、氷見はもちろん関
西一円、更に東京・九州とファンの輪は広がった
まさに観光氷見を、この『氷見港』で、全国に宣伝して戴いたのである
その多大な功労により、氷見市より「ありがとう賞」を受賞したことは記憶に新しい
その中島聖二さんが癌に侵されつつもステージに立ち、『氷見港』を声の限り唄い続けたが
平成19年7月帰らぬ人となった
一周忌にあたる20年7月、誠実な人柄の中島聖二と、名曲「氷見港」を惜しみ、追悼記
念歌謡ショーが氷見市民会館で催され、多くのファンが駆けつけて、会場が埋め尽くされ
たことは記憶に新しい
観光氷見市にとって計り知れない広告塔を失ったが、名曲「氷見港」は、今も懐かしむフ
ァンによって唄い継がれている
氷見をこよなく愛した中島聖二さんの意志を継ぎ、奥さんである歌手中島美智さんが氷見
の灘浦海岸を舞台にした演歌「灘浦慕情」を、京都一円、故郷の九州で熱唱し 観光氷見
に貢献をなされておられる
市民の手で、この永遠の名曲の舞台となった氷見港海鮮館前に是非、『氷見港』の歌碑を建
て、氷見を愛する人、歌を愛する人の記念碑としたいものである
歌碑建立は・故中島聖二さんの、強い願いであったと云う
海鮮館は観光氷見市の玄関口である、そこに歌碑が建ち『氷見港』の歌が流れれば、観光
客の旅情を更に深くすることは必定ある
歌碑建設は観光氷見市に寄与しても弊害はゼロであり、氷見市に貢献をされた、故人に報
いるためにも、今氷見市民の資質と情が問われている
ここに設立準備委員会を立ち上げ、氷見市当局と氷見市観光協会、海鮮館・関係各位に歌
碑設立を衷心より祈念するものです
平成20年9月26日