空海の風景 下巻 司馬遼太郎
上巻最終章に唐代玄宗時代に景教(キリスト教)を詳しく書いてある
私は「寶」の8章その4で唐代・キリスト教の事をチラリと触れてある
「寶」の大本、大脈に影響は及ぼさないが、冷や汗ものである!
道教研究の第一人者、東大福永光司教授の名が載っている(338頁)
福永先生にも「寶」本を差し上げた・・・ご返事は無かった
司馬遼太郎先生に「寶」本を差し上げ、大宗師・司馬承禎を書いて欲しかった
私では無理である
歴史に光あれ・・・・・・・!!!!!!!
考えるに司馬承禎は己の徳業一切を歴史に封じた
それでいいか!!!!!!!!!
これから再び1300後に第3の承禎が現れて、光を当てるか・・・!!!!
司馬先生は史実にも己にも妥協のない人だ!!!!!!
小手先の仕事、お茶を濁すことも・・・・・・無い
司馬先生に失礼ではあるが下巻133頁20章まで辿り着いた、
飛ばして最終30章そして「あとがき」を先に読んだ(40頁)約半分である
少々顎がでてきたのである
私にとって空海そのものより、司馬文学と言うか司馬史観に興味があつたのである
十分過ぎるほど堪能した
空海と最澄の確執を知る事は私の今後に重要な問題では無い・・・・
私として唐代天寶の残照に浴すれば十分なのであった
水神に祈り、命をかけて渡航した遣唐使たちの辛苦も先生のおかげで十分味わった
そしてまた仏教と道教の、その後の盛衰を理解した中で、歴史に沈黙した大宗師、司馬承
禎の偉大さが、更に燦然と光彩を放ち、私の歴史的使命があらためて沸々と煮え滾るので
ある・・・・・・・!!!!!!!!
第30章に玄宗皇帝の名が出てくる
そして書中、司馬先生が長安を旅したとき牡丹の花の話に及ぶ・・・・・!!!!
唐獅子牡丹、李白が詠んだ牡丹は楊貴妃である
司馬先生にお礼を述べる・・・・・・・これで十分である
私の変質的執着性分である!!!!!明日恐らく読み干すであろう
今日は珍しく近くの床屋へ行ってきた。そして昼から、また良く飲んだ・・・・・・
今も夜中、仏生寺の姉の家の、茄子の漬物でチビリチビリである
今度の塩加減グッドである!!!!!!!
そうそう忘れずに記しておこう!!!!
余談である!!!!!!!!!!
本書の表題裏に多分司馬先生の書なのであろう「空海」の書が上巻下巻に一文字ずつ別々
に大書してある
上巻空の文字は一目瞭然に分かったが、下巻「海」の文字が私に分からなかった
事務員に問うた!!!!!!!
「海」の文字の三ズイを「水」に書き換え「毎」の下は「水」で合わせて「海」では?!
変形の「海」の書体であった・・・・・!!!!!!!
その通りである・・・・・・・納得
さすが教員免許の大卒!!!!!!
自分の頭の悪さに愕然である
それでも、強がり・・・・!!!!!!!(高笑いでは無い・・・苦笑い)
異常・・・マチガイ・・・・以上です!!!!!
平成18年9月10日 夜中2時