邪馬台国への旅
これも不確かな知識である
知って腹が膨れるわけでもないが
それでも知っておいて損な事も無かろうと借りてきた
魏志倭人伝は250年代の頃、中国の歴史書「魏志」の最終巻に「倭」即ち日本の記述が
それである
その中に邪馬台国の記述があると言う
そして女王卑弥呼もそこに登場する
卑弥呼が国王とされたのが西暦200年頃との事
その頃中国は後漢、三国時代の前期、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権、三国志の時代であ
る
巫女である卑弥呼は占いに長じていた
卑弥呼は曹操がいずれ勝つと占っていたのか魏に使者を送っている
確か孫権は水軍が強く、また地理的にも呉は魏より日本近い感じである
曹操もまた天下統一後を睨んでいたのか日本まで視界にいれていた事になる
曹操・卑弥呼さすがである
想像を膨らませるとなかなか面白い
フムフム、ナルヘソ、である
そして邪馬台国論争が学者や歴史好きの人も巻き込んで、果てしない論争が続いているの
である
本書は怪しい候補地も入れると50ケ所とある
テレビでも時々取り上げられ昔から賑やかな論争である
歴史的謎が残されている事は、実に楽しい事である
時間と金があったら平成承禎が解き明かしたい謎である
私は「寶」解明で一つ分かった事がある
考古学も歴史学も全体の一断面、一方向から推理する性癖がある
スペシャルリストの陥る落とし穴であると危惧するのである
学者肌と言う。変人奇人一直線型?
私のように人格円満タイプでは無い人が大方であろう
ナ・ナぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!
群盲、象を撫でる・・である
ムムムムムムム
調子に乗るな!!!!!!!!
があった
古墳には前方後円墳と前方後方墳の二種類があった筈
その分布の境目がだいたい
前方後円墳は富山以南西日本が殆どで、前方後方墳は富山以北と記憶している
前方後円墳は中国道教の天円地方の道教的思想が色濃く投影されている筈!
前方後円墳は時代が下がる筈である
この大陸から古墳形態みられる新しい思想がそれ以前の旧思想体制を駆逐したと想像をか
き立てるのである
始皇帝をペテンにかけた徐福伝説と古墳形態との考証も断然面白い
恐らく日本書紀などから推測される古代の天下分け目の関ヶ原があったと、推理!
九州説は大陸からは近いが天下統一の拠点として余りに外れている、
私は資料文献、考古学的観点は無視
当時の軍事面から考えると大阪では守りに弱い、私なら奈良盆地に拠点を構える
などいい加減な推理がいよいよ働く
これ以上は諸先生方に任せよう
平成19年2月22日