「寶」との遭遇 (三)
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今でもその日の事を鮮やかに覚えています。
それはバブル期、今から20年以上前のある日の事でありました。
私はその2年程前から「寶」の命脈を託された翁と出会い、そして
高岡市のご自宅へ頻繁に訪れ、古美術のイロハを教わっていた、
翁の古美術に向き合う真剣な姿を見るにつけ私は鬼才と深く尊敬して
いました。
翁との出会いも運命の約束事、必然であったと思うのです。
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その日は、障子戸から床の間に、柔らかい日差しが差し込む日でありました。
よほど翁は体調も良く、気分が良かったのであろう。
部屋に上がると中が片付けられ何時もの様子と多少雰囲気が違っていました。
私の視線は自然に床の間に向けられたのです。
そこに手の平に載る程の小さな獅子の置物が目に飛び込んできました。
私は惹かれるように床の間に向って座り直したのです。
獅子は辺りの空気を祓い、正に鎮座していました。
荘厳な深い座りであった。
威厳に満々ていた。
獅子は私を射すくめるかのように、正眼の構えでジーと私を見つめているようでもあった。
瞬間、私の体が固まり、時間が止まったようであった。
そして私は瞬時に、これは中国の重文級、いや国宝級の焼き物と察しました。
翁は何も言わず、釘付けになって見入る私を、横で目を細めながら静かに見守っていた。
そして私に手に取るよう無言で軽く促しました。
私は恐る恐るにじり寄って、座布団を前に差出して獅子印を手元に引き寄せました。
手にした瞬間、ズシリとした手の感触に、間違いなくこれは凄い焼き物と確信したのです。
手の平に載る10センチ足らずの焼き物でしたが、私の経験測の重量を完全に超えていました。
座布団の上で上下左右ゆっくり回転させながら、注意深く観賞する私を、逆に獅子の眼光
が私の顔を嘗めまわしているようで、脳天がギュッと収縮し、恐怖に似た感覚を覚えたのでした。
そして静かに床の間に返し、再び正座し獅子印を正眼する。
真一文字に張りつめた部屋の空気が少し和らいだ気がいたしました。
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翁は初めて口を開いた。
翁の話によると、これは門外不出で何十年間誰にも見せた事が無いと言う。
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そしてこれは廃藩置県で富山の前田藩から売り出された品で、富山の印刷会社の豪商が買い
取ったと言う。
そして終戦の没落でセリにだされ、翁が買い取ったと言う。
当時あまりの値に誰一人落札する業者がおらず、友人の胴元が翁に落札を頼み込んだと言う。
翁は大八車一杯の骨董品を処分し、親戚から金を借り集めて手に入れた品との事でした。
そしてこれは中国皇帝の玉璽であると言う。
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私は深い思いを抱き、翁の家を後にしました。
その後も翁の家を何度も訪れましたが獅子の印の事は一切口にしなかった。
しかし獅子の魅惑を秘めた強烈な印象は私の目に焼き付いて消える事は無かったのである。
当時、翁は75歳を超え、古美術を引き継ぐ人がいなかった。
3年後、家族会義の結果、破格の値で「寶」と中国「総瑠璃の壷」2点を譲って戴いた
そして「寶」解明に突入するのである。
約7年後、翁の棺に解明なった初版本を供え、命脈を託して戴いた翁に、せめてもの供養ができたと
今も慰めている。
本書に載る神仙降臨の図は翁その人である。
現在翁宅はご高齢の奥様を介護する70歳を超えた病弱の娘さんと二人暮しです。
そのため翁の名前は伏せさせて戴きました・・・・・・・・。
「寶」との遭遇は全て天命宿命であった。
平成19年2月21日