●25弾、万葉氷見・神々の伝説
灘浦海岸沿い藪田地区の山側300メーター入った所に垂姫神社がある
祀られてある主神は息長帯比売命(おきなから・たらし姫の命)で女神である
神社の謂れ書きによると、元々は薮田と阿尾の中間位置に、海中に突き出た八幡岬に社殿
が建っていたそうである。
荒波に八幡岬が侵食され、白山社があった現在地に遷座され今の垂姫神社となる
八幡岬の周辺はその昔より、灘海岸の景勝スポットであった
万葉の時代、中納言大伴家持卿や随員がその風光明媚な景勝を歌に詠んでいる
★垂姫の浦を漕ぐ舟、梶間にも、奈良の我が家を忘れて思へや
大伴家持
★垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は、楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ
遊行女婦・土師
尚、垂姫の岬は、氷見大浦堀田付近との説もある、垂姫伝説の由来と伝説は万葉の彼方である
当地灘浦海岸藪田地区に万葉の時代より伝わる幻の仙女・垂姫伝説がある その昔から八幡岬の沖合いは最高の魚場で、寒ブリの回廊であった しかしまた、その海域は、荒れる魔の海域でもあった とりわけ寒ぶりの絶好の季節になると、海は大荒れとなり、毎年何人もの漁師が海底深く にあると言う魚眠洞の藻屑となっていた 魚眠洞には独り者の海人が住んでいたと言う 独身の海人は、長い間垂姫に恋をしていたが、願いが叶わず、寒ぶりの季節になると何時 も暴れるのであった 垂姫も若い海人に恋していたのであるが、山の神、海の神が仲悪く、二人の恋を許さなか ったのである そこで土地の者たちが、海中に突き出た岬に八幡社を建立し、山の神と海の神に二人の恋 の許しを祈願した 山の神、海の神は領民の願いを聞きいれ、ブリ起こしの雷、祝砲を合図に手を結び、遂に 二人の恋を許した 仙女垂姫は人魚となって海人の妻になった 以来、海難事故はなくなり、大漁が続いたと言う 垂姫と海人は魚眠洞の竜宮で今も幸せに暮らしていると言う 垂姫神社は恋するものの願いが叶えられる愛の神社として今に伝わる |
観光
ブロンズ像の設置を願うものである
さすれば全国の若者が、愛が叶う人魚・垂姫伝説にあやかる為、この薮田海岸に大挙する
であろう
アンデルセンの人魚と同様、全国に知られる観光スポットとなろう
設置されるすぐ近くの薮田トンネルの小公園には、近代日本の立役者、
人、浅野総一郎の立山連峰を望む堂々たる勇姿、また維新の影の立役者、幕末の剣聖、斉
藤弥九郎の像は朝日山から海鮮館前へ移築され、更に北大町広場中央に万葉の歌人大伴家
持の像、海岸ロード海側には、唐島を望む十返舎一九の像
以上、氷見偉人、伝説ブロンズロードの完成である
高岡銅器の会社に問い合わせると台座と像で一基約1000万円と聞く
4基と移設で1億以下である
バブル崩壊で箱物観光の時代は完全に終焉した
歴史と文化の掘り下げ、ロマン溢れる
リスクは無い、子々孫々有形無形の財産となろう
魚の町と景観に加えた、歴史とロマンの
能越道の開通が目前である
市当局の早急の取り組みが求められる