堀の中の懲りない面々
初版が昭和61年だから、私が東京へ行く前、人生の岐路にたち悩んでいた頃、
著者の安部譲二氏の事、著書の事も何となく知っていたが、読んだのは初めて。
学者の、机の上の話しより、体験の話は実に面白い、
「あとがき」に留置所は小学校、未決の拘置所が中学校、初犯刑務所は高等学校、再犯刑
務所は大学とある。私は昔神戸にいた頃の年末、生田署の留置所に3泊4日泊めてもらい、
小学校は一応卒業している。
三宮歓楽街で会社の新入社員教育係りの通行人との些細な揉め事に、凶暴加担、あえなく
御用となった、お粗末な過去!
それでも当時は、臭い飯に驚き、手錠にショックを受け、閉じられた鉄格子に悶絶、掻き
毟り、人生の終わりを真剣に思っていた
学校謹慎、家庭謹慎、停学とすき放題、マトモデナイ高校生時代の延長線上、当然の結末
であった!
刑務所は異能・異端・狂人・変人・変質者・ホモ・お人好し・正直者・凶暴、人格者・天
才・聖者、人間失格、堕落と研ぎ澄まされた人間達の混浴です。
事実は小説より奇なりで、こんなに小説の題材に事欠かない所はあるまい。
20年程前の本で私が遅れている。皆さんは既に読んでおられると思うので、HPの視聴
率アップのため、読後の無責任な雑感を少し記しておこう!
塀の中、即ち刑務所である。
塀の中、刑務所は何故人は入りたくないのか?
規律・規則・制約が一般社会より著しく厳しい事を知っているからであろう!
勿論、罪を犯して社会的基盤を失い、罪悪感に責めさいなまれる人生もご免である事は、こ
の際横に置くことにいたします。
考えるに、一般家庭にも、条文化してない不文律の規制がある筈です。
また、会社にも社則、国家にも法律がある。
みな塀の中である!北朝鮮を見れば良く分かる!
家の塀と会社の塀を嫌ったのはフーテンの寅さんであろう!
涙ぐましい中年のサラリーマンが羨望の眼差しで拍手喝采する気持ち良く分かる。
私の幼友達のAは、塀の壁を何度も出入りしている。
Aから面白い話を聞いた!
塀の中の住人を監視する刑務官はある意味で、無期懲役みたいなものだと言う。
刑務官は毎日塀の外から出勤してくる!
しかし刑務官は職業上、住所も秘密、職業も秘密、しかも世間の交際も相当限定されてい
るとの事である。堀の中の人間から恨まれ放火や妻、子供に危害が加わっては大変なので
ある。
だから刑期を終え出所後、再びUターンしてきた時、刑務官は塀の外の話をネホリハホリ
聞きたがるそうである。
Aは、俺らは出たり入ったり自由であるが、彼らは定年まで、、いや終身刑と同じで、お気
の毒としか言いようがない!と大声で笑う。
それとAは塀の中での生活により大変な読書家である。一般人よりヤクザの方がよっぽど
教養がある。
ヤクザは極道である、道を極める!である!一般人より格段に道理を弁えている!
それとヤクザの新入社員も永平寺へ参禅すると言う!
女性に飽きたし、この不況下、禁酒、禁煙、糖尿病治療と人間改造、読書三昧、人間勉強、
俳句と短歌遺作集の完成に向け、時期を見て行動を起こすか!?1年の刑期なら、どれぐ
らいのイタズラか、事前の下調べが必要である。
サルトルはナチスドイツの抵抗運動で捕まり、解放後「牢獄は自由であった」と話した
と言う!
人間の心の中にも、越えられぬ塀が何重にもある!
結局、全ては己の心に全てが起因している・・・・・・。
刑務官の話しは、自由が不自由であり、不自由が自由、訳の分からぬドグマに陥る。
平成17年3月4日