「中年以後」曽根綾子
「老いの思想」安西篤子
同時並行して読み進み、先に読み終えたのが「老いの思想」である。
吉田兼好・世阿弥・宮本武蔵・孔子・則天武后・李白・ラ・ロシュフコー・ゲーテ・アン
ドレ・モロア・新井白石・根岸鎮衛・宮本常一の人生と老後について書かれてあった。
記憶では女性作家の著書を開いたのは瀬戸内寂聴さんの著書以外手にした記憶が無く、2冊
とも書の題名に引かれて読んだ。
もうそのような内容の本を心の準備として読んでおかないといけない、そんな潜在意識が
手を伸ばしたのであろう。
「中年以後」の冒頭に(中年というのは、この世に神も悪魔もいなくて、ただ人間だけがい
ることがわかつて来る年代である)と曽根綾子さんが述べている。
私はむしろ反対に、中年以後は神と悪魔の存在を見極める年代と思っている
わたしは数年前イギリスの宇宙物理学者ホーキング博士が神の存在をどのように捉えてい
るのかと「ホーキングの最新宇宙理論」を注意深く読んだ事があった。
また同じくアメリカNASの宇宙工学博士で「宇宙には意思がある」の著者・桜井邦朋
先生の本を感動とともに深く味わった。
神の存在を疑うほど、神は残酷であり、無慈悲である。
神のみ教えで、どれくらいの人々が無残な死に遭遇したか
無は無にあらず虚無の無にあらず、遅れているが私にはこれから向き合わなければ、重要
課題でもある。
しかし、彼女はカトリック系の学校で学んでいて、その冒頭の言葉と裏腹に著書全体に宗
教心が匂う。
こんなに健全な思考の持ち主が、自分自身が歪んだ家庭に育ったと述べておられる
そう自己分析なされる謙虚さこそ、ステキなものの見方、健全な思考なのである
健全な熟女、感心するほか無い。
同感なのは、95%の家庭が歪んでいる、自分の家庭が健全だと言い切る神経が最も歪んでい
るのかもしれない。と言う
私の知っている女性で兄と姉が学校の先生で、一番上の兄は、電力会社の部長で、健全な
兄弟姉妹を高らかに誇っていた方を知っている。
傲慢な女性であった、もし彼女が聞けば、笑い飛ばされる話である
更に同感は、日本の新聞、朝日・毎日などが長い間社会主義の熱にうかされ、北朝鮮を天
国の如く書いた小説家もいたと書いている、まさにその通りである
世の中捨てたものでもない、教養の深い女性もイルナーと感嘆するばかりである
同時並行して読んだ「老いの思想」に私の「寶」本に登場する則天武后、李白が載り、そ
の点歴史のおさらいの意味で開いた意義があった。
余りに偉い人の老後の人生で、到底私には縁の無い老後であり、あらためて「老後の思想」
などと、構えて生きたいとは思わない。まだ気持ちが若いのであろうが、自分は自分、一
日一生、その連続が私の一生であると思うし、そう有りたい。
吉田兼好のような、達観したような老後はどうも自分には合わないし、到底出来そうに無
い。それでもこのような「中年以後」とか「老いの思想」などの、晩秋の生き方などの本
を手にする年代を迎えつつある事に、当然とはゆえ、深い感慨を覚える。
「老後の思想」などより飛び越えて、死に方、死ぬ場、死に様の方が私の関心事である。
私の祖父も父も静かな往生であった。
しかし、最後は看取ることは出来なかったが妹も急性肺炎、兄も癌で大そう苦しんだ。
であるから、死そのものよりも、死に様にたいする恐怖心がある。
どうも、野垂れ死か、惨めな死に様を曝すようで、死に方を色々、模索、思案中である。
自分の深層心理には、生にたいする執着が人一倍強く、体の性根も強いと、本能的に感じ
ている。
この際「老後の思想」より、「死」そのものに踏み込んでおこう。
深くこの世を見つめた事の無い私には、この世で絶対とか100%の言葉の意味があてはまる
現象は「死」以外、思いつかない。
神か悪魔の仕業以外、地球上の生物は全て自分の意思で生まれてきたものはいない!
地球上の生物で、明確な意思、自らの選んだ方法で、生の幕を引く生物は人間だけであろ
う。
さすれば尊厳死(自殺)は神か悪魔どちらにしても人間に与えた唯一最高の救済案ではなか
ろうか??と都合よく解釈している。
「現代哲学辞典」「自殺」欄を抜粋して紹介しておこう。
(生存が意味を持たぬことの告白)(生命を断つことは、かえって人間の自己保存欲と一致し
た行為なのである)(自殺による生の否定は本質的に、より高次な生の肯定を目指しているの
である、しかし生を否定しようとする意思は、正しくその自己否定により、生なしには自
らが無であることを証明するにすぎぬところに自殺のもつ生にたいする根源的不条理性が
あるといえよう)とある
尊厳死ですら、日本ではまだ神学論争の段階で、法曹界は答えを出してはいないようであ
る。
宇宙を神が創造したとすると、自殺は罪悪とみなされ、悪魔が創造したとすれば、自殺は
人類の救済に尽きる、神も悪魔も表裏一体、同身なら、呪縛から解かれ選択は自由になる。
それらもキリスト教的呪縛のようである。
私の宗教の理解もその程度で、いい加減である。であるから罪悪感はおぼろげにあっても、
死の苦痛と比較すると、罪悪感は霧消する。
気が弱く勇気の無い私には自殺すること自体、他人の力を借りたい程の行為である、
もつと、性急に踏み込んだ尊厳死を論じてもらい、法律が成立して欲しいと願う一人であ
る。
もし注射一本で、眠るがごとく安らかに死ねるなら、ほとんどの人間が尊厳死を選択する
であろう。
志願者が殺到する事、間違い!高齢化社会、社会の負担も何兆円・・?・!・軽減されるはず
法制化して、尊厳死の法的条件を満たさない処理、仮にミステークあったとしても、法制
化は圧倒的支持がえられると、私は思うのだが。
長く生きる事も確かに意義があろう!しかし長く生きたから偉いと威張れるものでもない!
何をなしたか、中身の問題であろう、旅行した、美味しいもの沢山食べた、大きな家を建
てた、長生きした等々それが人生の大事では無いと私は考える。地球上、排泄物を沢山撒
き散らして逝ってもらっても困る。
環境汚染である。私は常々思っている。タイムイズマネーではないタイムイズ・ノット・
バイマネーである
金は命の次と聞く、その命の次の金でもってしても時間は買えない(多少買える程度)、さす
れば命=時間と言い換えても過言でなかろう!
であるなら時間の中身の問題であろう・・・・・・その点自分は、職業はアルバイト含め
20以上経験し50人以上の女性を愛し愛され、5000冊以上の本を読み、千回生まれ変わっ
てもお会いしたい尊敬する方々と出会い、世界一の「寶」を手にし、1億2千万人の中から
選ばれてその「寶」の神秘を解明させて戴いた。
そうそう酒も普通の人の倍は飲んでいるであろう。
自営の道を選んでから、猛スピード、全力疾走で駆け抜けてきた。瞬きに近いあっという
間の年月、昨日のように思い返される
普通の人の、人生の3倍は確実に生きた思いである。
明日と言う日は無い、今は1日1日人生の整理に入っている。
整理している時間から、新たに荷物が生じて来る。
捨てるものが多い、消化できず捨てきれないモノがある
それを咀嚼し、納得し消化しなければならない。
もちろん「寶」もそうである、できなければ最後は、足を投げ出し、開き直るしかない
3年ほど前、30年近く断絶状態であった兄と永遠の別れを告げた。
長男である兄の嫁と、母親すなわち姑と仲悪く30年前に家をでて以来、私と疎遠で話す事
も30年間で3回有る無しであった。
しかし手遅れの癌ときいて、事切れる日の9日前から石川県松任の病院に7日間連続毎日
車を飛ばし見舞った。
何十年の断絶である、私は兄嫁に事前に私の長い間の気持ちを手紙に認め、それを手渡し
た。
そして朝5時に起きて朝日山の桜の枝を失敬し、枕元に飾った。
4日目、今度は湊川の桜の枝を飾った。
病室は暖かく故郷の山河の桜の満開を2回眺めて逝った。30年の隔たりは1日で氷解した。
私の大きな大きな心の整理であった。
裸一貫頑張った、私と同じく全力疾走で生きた、最後自分の人生を弟の私に誇らしげに自
慢し、満ち足りた顔が今も鮮やかに浮かんでくる。
4・5日程忙しいからと断り、帰った翌日の朝方、夢うつつの中で兄が逝ったのをハッキリ
と覚った・・・・・・・・。布団の中で手を合わせ見送った、不思議な事である
あと90歳になる母親も見送ってやらねばならない。
私は、一応は公証人役場で遺言は作成してはあるが、まだ整理が遅れていて、死に様を思
案する心構え、環境が整っていない。
あと1年の猶予が欲しいと願う今日この頃である。
来年にはきっとあと一年の猶予と言っているに違い無い。
往生際の悪さは、自分が一番知っている。
一癖ある女子事務員、妖怪達に笑われそうである。
寿命が5年10年前後しようが、ここまで来れば大差は無かろう、
兎に角未経験ゾーン、未知の年代である、このような著書においおい触れておくのも悪く
ないと思う今日この頃である
平成17年2月15日